病気とケンカ

精神病と内臓病を患ってるけ、どカウンセラーと編集目指して日々飯を作り年収を揚げるブログ

前回の記事に関しまして


病気の人との付き合い方で思ったこと(齋藤さんの騒動に思う事) - 病気とケンカ

こちらの記事が思っていたより反応とコメントがありとても驚いております。

コメントも全て読ませて頂きました。全てにお返事する事は出来ませんが気になったコメントにお返事、といいますか私見を述べさせていただけたらと思います。

 ■病気か性格か、責任能力はあるか。そういう切り分けは難しいけれど~

 そのとおりだと思います。病気と思ったけれど本当は性格だった・・・そういう事もたくさんあります。全ての人が病気ではありません。かし病気を隠れ蓑にして色々と悪事を働く人がいる事も事実です。悲しいことに(齋藤さんがそうだと言っているわけでは全くありません)

そこの見わけはとても難しく、この人は病気なんだ。病気なんだと思い続けその人に尽くした結果相手は病気を隠れ蓑に自分を利用していた・・・という悲しい結末もあり得ます。

もし身近に友人、または恋人としてお付き合いしている人がいて

この人と居ると苦しい。自分が不利益を被ってしまう。しかしこの人にはいい時もあって病気かもしれないし性格かわからない・・・

自分がとてもその人に苦しめられている、そういう時は”この人は自分が居なくても大丈夫”という思考を持ちその人の元から去る事も大事だと思っております。

大抵の人は自分が居なくても生きていけるのです。
”自分が居なくてもこの人は大丈夫。”そう思って自分をその人の呪縛から解き放ってあげること。

手を離される方としても悲しいので、そういう時には理由を話していく事がベストだと感じています。相手も自分を振り返ることが出来るので(しない人もたくさんいるけど)

それでも、関わりたい。それが吉と出るか凶と出るかは運次第です。残酷なことに。(これは自分の経験ですが人間関係は運の要素が多大にあると思います)

同時にどんなに仲が良い友人も少しの事で綻びが生じてしまう事も覚えていたいなといつも思います。

 

「悪人は病気か」「ホモは病気か」「○○は病気か」問題

 

僕は悪人でも病気ではない人はたくさんいるし、ホモは病気ではないと思っています。

悪人か善人かに関わらず病める者にはいつも○○は病気か?という問題が付きまといます。

共感覚を持つ友人が言っていましたが

「病気、という診断を下されたときに自分がその病気?を抑えるためにしていた努力が全て無駄になったと感じた。全ては”俺は病気だ”という事で片付けられる。個人を見てもらえない。」

全ての行動や言動が”個人”ではなく”病気の症状”として見られてしまう。これはけっこう辛いことです。

病気である。という診断は家族や友人を安心させる一面もありますが本人にとって複雑なのは確かです。

ただ一つ言えることはホモや同性愛、バイセクシャルは病気ではない・・・という事です。

昔、友人の彼女が突然「歩きたくない、歩けない」と往来のど真ん中で座り込んで友人がなだめすかしてたのを見た時は「本当のメンヘラとは絶対に関係を持ってはいけない」と感じた。

 昔僕の友人もそういう彼女と付き合っていた時期がありました。

急に電話がかかってきて「絶対今すぐ来て、来ないと死ぬ」などと言い高速バスで行くと急に「帰れ」と言われたり、そういう事をたくさん言われていました。

僕は友人に「別れろ」といい、友人は別れ今は少しづつ安定した生活を取り戻しています。

僕自身精神病を持っていますが、友人が精神病の人に苦しめられている所を見ると「お願い、我慢して支えてあげて。病気だから」とはとても言えませんでした。(しかもその人には病気を治そう!という姿勢が全く見られなかった)

しかし病気ではなく本当のメンヘラ・・・病気ではなく性格でそういう事をする人は存在します。

メンヘラで関わりたくない・・・というお気持ちは分かりますが、病気を持っている自分としては少し複雑で悲しい気持ちにもなります。

しかしいつか”病気でもこの人と関わりたい。だっていると楽しいから”という人がたくさん増えればいいなと思います。自分がこの人と居て、楽しい!という基準が病気という枠を超えていければいいな、と思います。

しかし見分を広めたいから!とか違う世界を見てみたいから!という理由で少し背伸びをしてそういう病気の人と積極的に関わる事もないのでは・・・と思ったりもします。

 

お読み頂きありがとうございました。